▼ 後で知る訃報 ▼ murmur
久しぶりにアドレナリン全開。耳にしたのは数日前、相方が噂として聞いてきた。 例の上司だ、半年も前に風呂の中でご臨終。そんな状況だからかどうか、公に訃報もなく、私の耳に入ることはなかった。 私の退社以来数年おきの定例行事のようにはた迷惑な時間に電話をかけてきて、相方は彼の酔ってるんだかシラフなんだか分からない態度がとても苦手で何度電話口に出せと言われても出ることはなかった。私たちはそのままアドレスと連絡先をお互いに確認し、深夜というか朝方まで酒を酌み交わしながら他愛のないお互い無礼千万なタメ口会話で朝までの時間を過ごしていた。 何時の間に誰に聞いたのか私に降りかかってるその後を知ってる彼は本当に辛らつな言葉を駆使して私を心配していたと思う。 「お前に未来はあるのか?」 一緒に仕事をしていた時の彼の私との会話の記憶は妙に鮮明だ。何度かかけてきた電話の中にいつも織り込まれている某日がある。 その日はいつもすっからかんの財布の彼が私を飲みに誘った。たいていは割り勘か私がおごってやってたと思う一番お気に入りのおでん屋のカウンターでここは誰も連れてきたことがないんだと恩着せがましく自慢してた。その店名入りの燗容器は私の実家に同じものがあるのに気付きそこが死んだ父にとってもお気に入りの店であったことを知る。おかみに名乗ろうかとも思ったが上司はその日私に言いたいことがあったみたいでその日は二人で静かに飲んで過ごしたのだった。 本題に入る前の世間話でふと、「ところでお前そのうち東京に行くのか?」と 5年くらい付き合っている男が当時東京にいた。私は隠しもせず出張用チケットをひと月おきくらいに会社の総務に手配してもらっていたので彼といずれ結婚でもするのかと聞いたのだろう。 不思議だが私はそいつと別れることを考えたこともなかった代わりに結婚したいなどと一度だって思いついたことがなく、こちらの地元で知り合って、実家が雪国で、いつかはそこに定住するんだろうけれど転々と長野の今は無き長蔵小屋に住み込んだり東京に行ったり、近くにいようが離れていようがたいした動揺も無く私たちは付き合い続けていた。携帯電話もない時代にだ。 別れてもいない間に周囲の盛り上がりだけで私と相方の結婚話がわけのわからないまま進んでいって・・・結局その日上司に私はそのことを初めて口にした。「どうやら私結婚が決ったらしい」 相方とのマッチングに微妙に不満な顔をしたのは実はこの上司だけだった。口には出さず数杯の酒をいっきに飲み干してその店をでた。そして彼が将来会社をやめて独立する時に連れて行くことになった私の同級生がバイトしているパブに場所を変えた。 「おい、こいつ◎◎と結婚するんだってよ、今日は祝いだジャンジャン飲ませろ」と超ハイテンションになって深夜まで浮かれて酔っ払いだした。 深夜タクシーを拾って帰途についたのは大方3時半を過ぎていた。上司の家の近くで彼は降り、私に1万円札を握らせて「釣りはとっとけ」と手を振りながらフラフラと自宅のほうに歩いて行った。 その日のことを彼は数年おきに電話してきて私に話す。あの日に大きく予定と事情が変わってしまったんだと「言っとくがお前をどこかに連れ込んでどうこうしようって予定じゃないぞ」の但し書きがつく。わかってるわい! 最後の電話でも同じ話を繰り返した。そして「お前に未来はあるか?」と何度も訊ねられた。 「俺は未来が見えなくなったらある計画を実行するつもりだ」と言った。でもその前に「忘れるなよ、俺はお前の見方でもあるんだぞ、力が残ってるうちは頼れ」とも言った。 遅れた訃報を相方からメールで知らされたとき瞳孔が開き、額から冷たい汗がにじみ出て、そのあと動悸が激しくなった。涙は出ないけれどものすごい喪失感を感じた。彼の持病と自己コントロールとそれが狂ったり狂わせた場合に起きる可能性のあることを私は一晩検索し続けた。睡眠薬を余分に飲んでもちっとも眠気が襲ってこない・・ このことで私が無くしたものはなんだったんだろう?その前に彼はどんなふうに未来に見切りをつけたのだろう 彼の会社のWEBサイトを見たら、今もまだ代表取締りの欄に、とっくに息子に譲ったはずなのに、記されているのは彼本人の名前だった。私に教えてくれたアドレスは会社のものでもない。 今度携帯を変えるまで、アドレス帳から消去するのはやめようと思う。きっとNoとアドレス変更のメールの一斉送信の中に入れるぶんとして残しておこう。悪い噂が実はまったくのただの噂で生きていて、また返事が来るかもしれないどというかすかな願 誰か一人くらいの理解者が人には必要だったのだと思う。日常の付き合いがあろうともなかろうとも。
【 2008-10-21 04:27:34 Comment(0)・ Track back(0) 】
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