fura-ri・furari
--by aoi--


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▼ 置き薬 ▼ murmur

なんとなくここを放置したまままたひとつ。
もう少し現実的な記録を残せるようにとはんどらの中に作ってみました。

はんどらがまだあって嬉しい今日この頃。
アルバムの一冊として残ってる

人はだいたい5年サイクルくらいで大きな変化を受け入れなきゃいけない。
で、今の私も少しは以前と変わったんだとは思う
こうやって歳とるんだなぁ



【 2008-12-26 19:08:06  Comment(0)・ Track back0) 】

▼ 後で知る訃報 ▼ murmur

久しぶりにアドレナリン全開。耳にしたのは数日前、相方が噂として聞いてきた。 例の上司だ、半年も前に風呂の中でご臨終。そんな状況だからかどうか、公に訃報もなく、私の耳に入ることはなかった。 私の退社以来数年おきの定例行事のようにはた迷惑な時間に電話をかけてきて、相方は彼の酔ってるんだかシラフなんだか分からない態度がとても苦手で何度電話口に出せと言われても出ることはなかった。私たちはそのままアドレスと連絡先をお互いに確認し、深夜というか朝方まで酒を酌み交わしながら他愛のないお互い無礼千万なタメ口会話で朝までの時間を過ごしていた。 何時の間に誰に聞いたのか私に降りかかってるその後を知ってる彼は本当に辛らつな言葉を駆使して私を心配していたと思う。 「お前に未来はあるのか?」 一緒に仕事をしていた時の彼の私との会話の記憶は妙に鮮明だ。何度かかけてきた電話の中にいつも織り込まれている某日がある。 その日はいつもすっからかんの財布の彼が私を飲みに誘った。たいていは割り勘か私がおごってやってたと思う一番お気に入りのおでん屋のカウンターでここは誰も連れてきたことがないんだと恩着せがましく自慢してた。その店名入りの燗容器は私の実家に同じものがあるのに気付きそこが死んだ父にとってもお気に入りの店であったことを知る。おかみに名乗ろうかとも思ったが上司はその日私に言いたいことがあったみたいでその日は二人で静かに飲んで過ごしたのだった。 本題に入る前の世間話でふと、「ところでお前そのうち東京に行くのか?」と 5年くらい付き合っている男が当時東京にいた。私は隠しもせず出張用チケットをひと月おきくらいに会社の総務に手配してもらっていたので彼といずれ結婚でもするのかと聞いたのだろう。 不思議だが私はそいつと別れることを考えたこともなかった代わりに結婚したいなどと一度だって思いついたことがなく、こちらの地元で知り合って、実家が雪国で、いつかはそこに定住するんだろうけれど転々と長野の今は無き長蔵小屋に住み込んだり東京に行ったり、近くにいようが離れていようがたいした動揺も無く私たちは付き合い続けていた。携帯電話もない時代にだ。 別れてもいない間に周囲の盛り上がりだけで私と相方の結婚話がわけのわからないまま進んでいって・・・結局その日上司に私はそのことを初めて口にした。「どうやら私結婚が決ったらしい」 相方とのマッチングに微妙に不満な顔をしたのは実はこの上司だけだった。口には出さず数杯の酒をいっきに飲み干してその店をでた。そして彼が将来会社をやめて独立する時に連れて行くことになった私の同級生がバイトしているパブに場所を変えた。 「おい、こいつ◎◎と結婚するんだってよ、今日は祝いだジャンジャン飲ませろ」と超ハイテンションになって深夜まで浮かれて酔っ払いだした。 深夜タクシーを拾って帰途についたのは大方3時半を過ぎていた。上司の家の近くで彼は降り、私に1万円札を握らせて「釣りはとっとけ」と手を振りながらフラフラと自宅のほうに歩いて行った。 その日のことを彼は数年おきに電話してきて私に話す。あの日に大きく予定と事情が変わってしまったんだと「言っとくがお前をどこかに連れ込んでどうこうしようって予定じゃないぞ」の但し書きがつく。わかってるわい! 最後の電話でも同じ話を繰り返した。そして「お前に未来はあるか?」と何度も訊ねられた。 「俺は未来が見えなくなったらある計画を実行するつもりだ」と言った。でもその前に「忘れるなよ、俺はお前の見方でもあるんだぞ、力が残ってるうちは頼れ」とも言った。 遅れた訃報を相方からメールで知らされたとき瞳孔が開き、額から冷たい汗がにじみ出て、そのあと動悸が激しくなった。涙は出ないけれどものすごい喪失感を感じた。彼の持病と自己コントロールとそれが狂ったり狂わせた場合に起きる可能性のあることを私は一晩検索し続けた。睡眠薬を余分に飲んでもちっとも眠気が襲ってこない・・ このことで私が無くしたものはなんだったんだろう?その前に彼はどんなふうに未来に見切りをつけたのだろう 彼の会社のWEBサイトを見たら、今もまだ代表取締りの欄に、とっくに息子に譲ったはずなのに、記されているのは彼本人の名前だった。私に教えてくれたアドレスは会社のものでもない。 今度携帯を変えるまで、アドレス帳から消去するのはやめようと思う。きっとNoとアドレス変更のメールの一斉送信の中に入れるぶんとして残しておこう。悪い噂が実はまったくのただの噂で生きていて、また返事が来るかもしれないどというかすかな願 誰か一人くらいの理解者が人には必要だったのだと思う。日常の付き合いがあろうともなかろうとも。

【 2008-10-21 04:27:34  Comment(0)・ Track back0) 】

▼ 四者択一 ▼ murmur

考えなくてはならない要素が山ほどあった。
手軽さだったり、作用点の違い(しかも解明されてるわけじゃなし)だったり、料金だったり。

結局アクテムラの開発臨床医に治療を引き受けてもらえることになったというのに
経済的な事情で検査に異常がなければレミケードの投与に決定。
実は一番高価な治療薬であり、だからこそ高額医療制度をフルに受けられるという理由。
治療を遅らせても医者探しに時間をかけた。その間に病気は少し進行したかもという不安がつきまとう。
でも少しモヤモヤが落ち着いたのは私自身の病気を手のひらにのせて共通の言語で会話ができるようになったこと。一般的な解説は必要ない。私自身のオリジナル症状の病気をどうするかの会話が出来なければ意味がないのだと思う。病院を探す間に医者との相性という言葉を何度も聴かされた。そんなものクソ食らえだと、必要な知識とそれを受け入れる体制の準備されている病院こそが必要だった。

今私はそこいらの専門医より業界専門家でもある。彼らは自分の見ているものに関連するものしか目がいかないということが分かった。
私の目標は根治だ。対症療法の域を出ない新薬にばかり目を向けてはいられない。新しければ優れているというものではないのだから。
日本で一番創薬技術の高い会社を私は知ってる、経営力が地味なのでいつもお宝はすぐに導出されてしまっていた。が、元になる有機物のエントリーはそこいらの大企業には負けてはいない。切り口の素晴らしさも含めて注目している。

検査結果が無事通過すれば点滴投薬中の副作用や事故に備えて1泊入院を3度する予定。
私の待つ薬がフェーズ3まで進めば治験患者になってもいいな

なんにしても、体に障害を起こすスケジュールが組まれている病気はやっかいかつ面倒。
幸いにして私に端目に見える障害はまだでていない。多少突然の辛い痛みというものはあるがだからとて、狭い家の中の細かい家事仕事に比べればくたびれはするが広い場所に外出の方が実は楽。

対症療法の高価な薬とはいえ、劇的な自覚苦痛はなくなる可能性は高いらしい。それも%の問題だから期待が外れない可能性も含む。。。有効はいらない著効の結果しか望まない。臨床開示から目を離せない、半端な効果なら薬の変更を申し出る。
家の中を這いずる能力が残ればよしとする。私の手と指と言葉を発する自由は死守したい。

主治医の啓蒙のためにモバイル用のミニノート購入。これって要するにパケ放題システムの模様。携帯のパケ使用を控えなくては・・・。

嫌われるんだろうなぁ、、、こんな患者。

【 2008-10-13 23:21:51  Comment(0)・ Track back0) 】

▼ 死んでも終わらない思い ▼ murmur

この夏3軒のお葬式と法事に参列した。
もっとも私をかき乱した人の死に遭遇した。

目の上のたんこぶ、私にプレッシャーを長期間かけ続けた聡明かつ美しかった叔母が
なんともミイラのような死体になっていた。
8年も前に告知された癌を体にメスを入れることを拒絶し、
生きてる証にと痛み止めさえも拒絶し、
私なんかより元気に動き回って様々な後片付けをしつつ財産整理もすませ、
息子や娘たちに宿題を残さずかつ生きる希望をすてず
亡くなる3日前までダイニングで自力で食事もしていた。
なくなってすぐに呼ばれて対面したときには私より20cm以上身長の高い叔母は
突然小さなひからびたミイラとなりベッドの上で横たわっていた。
さっきまで生きていたのが不思議なくらいの光景だった。

それでも神々しく私の目に飛び込んで最後のプレッシャーをかけていた。
そつなくなんでもやりこなし、誰にも自身の信念に口をださせることもなく
力尽きる前に準備を全て終えていた叔母はやはり誰も真似のできないアイアンマンだった。

祖父母、父が亡くなった時、私はひとつぶの涙もこぼさなかったのだけれど
叔母の葬式では溢れるばかりに涙が出た。
ほとんどが悔し涙、この人に私のやり方でいつかギャフンと言わせたかったのだ。

目の上のたんこぶは消えても肩の荷はおろさせてくれなかった。
私にかけ続けるプレッシャーをはねのけてやりたかったのだ。
その上で私が先にこの世を去るとき、少し後悔してほしかったのだった。
それは叶わぬ夢となる。。。

【 2008-09-08 01:29:27  Comment(0)・ Track back0) 】

▼ 9月かぁ・・・ ▼ murmur

記録に挫折、手帳はいつも無駄になる。ポイ
悪運はまだ残ってるんだなぁ 環境は進展がない代わり現状維持。
一人でいれる時間もそこそこあるし酒も嘘みたいにほとんど飲まなくなった。
薬は増えてるけども大きな副作用も今はなし。
普通に暮らしてます。これが普通なら。


【 2008-09-03 16:03:50  Comment(0)・ Track back0) 】

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